建設

学校は、義務教育の六・三制移行を受け、村の将来を担う青少年のために独立中学校を建設しようとする村民の熱意が実り、昭和24年8月18日に落成しました。建設にあたっては先ず婦人会が、一人二羽ずつの兎を飼いその収益金を建設費に申し入れ、敷地はその大半を地主が無償提供し、区は古くから親しまれてきた産土の神の森木を売り払って建設資金に充て、村民は藁・竹・縄等を持ち寄り提供した。さらに、整地については村民一戸三日の奉仕によって実施され、地突きは青年団の全員奉仕で行なわれるなど、数えきれないほどの村民の協力を得て建設が進められた、手作りの学校でした。

廃校

昭和60年、隣接する伊賀良地区との統合により廃校になりました。統合するにあたっては住民の賛成派と、反対派が集会を開いて、地域を2分した熾烈な運動を繰り広げ、ハンガーストライキも起きて、まさに命をかけた反対運動にも及びましたが、最後は行政に押し切られる形で反対派も矛を収め統合されました。そのしこりは、統合後も20年間にわたって続き、この地の展望は見られないまま校舎もそのまま扉を閉ざし、手付かずの状態で取り残されてきました。

再び学びの場として

平成15年、当時の反対派が解散するにあたり、自治会にこの件の一任を行ったことにより再び地区一丸となっての活用に取り組むことになりました。平成16年には杵原広場整備検討委員会を立ち上げ検討を開始、同年10月に杵原広場整備に関する提案としてまとめ市に提示しました。そこには再び学びの場として活用することが謳われています。

杵原学校応援団の設立

平成17年5月、前年の提案を実行するための杵原学校応援団が結成され、20年ぶりに校舎が開放され、住民が集って大掃除を行い、そして地域のこどもを集めての子ども教室や、大人のための大人の座学などの講座や、農業体験などの活動が始まりました。

その当時進められていた体験教育旅行の受け入れなども行なわれ、地区内外の交流と学びの拠点となっていく始まりでした。同年、国登録の有形文化財に指定。全国で初めて新制の中学校舎では指定を受けました。

映画「母べえ」

平成19年 母べえ の映画のロケ地になる。

杵原学校の枝垂れ桜

平成20年ころから県外からの桜見学に訪れる人が増えてくる。
平成23年より杵原学校フォトコンテストを開催。
平成25年より杵原学校の見学・案内の事業が始まる。